DARE THE SYNCHRONICITY × mabanua

DARE × mabanua

PALLADIUMは、4月6日、7日に渋谷のライブハウス9カ所で開催される都市型フェス<SYNCHRONICITY>とコラボレーションを実施した。その一環として<SYNCHRONICITY>の出演者であり、実力ある豊かな表現方法でソロからバンド、プロデュースのみならず、国内外で活躍をするmabanua(マバヌア)さんのコラボレートポスターを作製。インタビューも行った。

SYNCHRONICITY'19:OFFICIAL SITE

運命という必然で残った音楽

音楽のジャンルにとらわれず、多くの楽器を演奏するmabanuaさんは、ドラマー、シンガー、プロデューサーとして100曲以上の楽曲を手がけ、アーティストのみならず、CMや映画、ドラマ楽曲にアニメの劇伴と多彩な活動をこなす。海外アーティストとの競演も多く、昨年はフランスで開催されたフェス<ラ・マニフィック・ソサエティ>にソロで出演するなどと欧州にも活動の幅をげている。

「今の自分には音楽が残っただけなんです。最近になって、そういうことを考えるようになりました。親は小さいころからスイミング、書道にクラシックピアノなど、スポーツから文化的なことまで色々な習い事の機会をくれて、様々な場所へ連れて行ってくれました。自分にたくさんの経験をあたえてくれるけど、選ぶのは自分自身。そういう家庭で育ちました」

「習い事に打ち込んでいた時は水泳で上級の階級に上がれなかったり、書道で賞が取れなかったら悔しくなったりしたり、勝負事や階級へのこだわりもありましたが、年齢を重ねていくうちに、なんとなくそれらは辞めてしまったんです。だけど、それまでの経験の中で❝音楽だけは階級みたいなものがない❞と感じていて。気付けば”音楽が残った”という考えは、この頃に生まれていたのかもしれませんね」

点数も上下関係もなく認めてもらえる世界

“音楽だけ”。この想いは高校で、さらに強いものへと変化をした。「中高一貫の進学校へ行ったので、小学校から受験勉強を始めたんですけど、『中学受験をすれば将来が楽になる』。そういう情報だけが頭の中にあって、ひたすら受験勉強をして、特に目標も意識もないまま、進学をして、勉強ができる人たちの中へ入っていき、勉強が生活の中心になっていました。学校の中では、勉強ができるほうではなかったので、いつしか、劣等感を持つようになっていました」

「高校1年生からバンドに参加していて、文化祭のステージで演奏を発表できる機会がありました。勉強ではまわりからは見下されてきたけど、ステージに上がると『あいつすげぇな。あんなことできるんだ』って言われたり、ライブや音楽のことで声をかけられたりして『音楽には点数とか、上下関係もなしに認めてもらえる世界なんだ』って劣等感がなくなったんです。そこから『自分には音楽しかない』って思うようになりました」

マルチな才能

現在はソロ、バンド、プロデューサーとして活動し、様々な楽器を演奏しているが、このことは必然のような、なりゆきだったという。

「母がピアノをしていたことや父が音楽を聴くのが好きだったのもあって、家にはレコードもたくさんあったし、小さな頃から音楽は近くにありました。ギターを始める時にはギター好きの叔父さんが楽器屋さんに一緒について来てくれたし、教えてくれたりもして、自分が興味を持って『やってみたい』と思ったものへと引き込んでくれる環境がありました。『すぐに飽きるから』、『勉強ができないのに』。そういうふうに、何かへ興味を持った時に否定から入る家庭ではなかったので、とても感謝をしています」

「そんなわけで、バンドを始めた時にはメンバーから『ギターも鍵盤もできるでしょ』って言われて、様々なパートを担当することになったんです。ギターに興味を持っていたメンバーが多かったからか『ドラムできる?』って言われて、興味はあったんですけど、なりゆきでドラムも始めることに。ギターとピアノはあったんですけど、ドラムは家になかったし、ドラムセットを買うこともできなかったので、段ボールなどをガムテープでとめて、自作でドラムセットみたいなキットを作ってスティックで叩いて練習をしました。楽器はマルチにやってきたというよりか、もちろん興味もあったけど、すべてが偶然でなりゆきなんです」

敢えて踏み出した先=今。これから

21才でプロミュージシャンとしてセッションのホストバンドをやっていたShingo Suzukiと出会い、Ovall(オーバル)を結成。耳の肥えた現場思考の音楽ファンから広がり、<フジロック>など、ビッグフェスに出演。フェスフリークから新たなファンを獲得し、国内外のアーティストとの共演など、活動の場を広げていったが、2014年、一度Ovallの活動を休止した。

「活動を休止する前から楽曲のプロデュースが増えていったことや、みんなそれぞれ音楽にもバンドの向き合い方や考え方もあった。Ovallは当たり前の存在になっていました。休止した時は『ソロも出せていない』、『自分のことだけに集中したい』。そういう気持ちでいっぱいいっぱいな時期でしたね。だけどOvallを休止したことで、バンドやソロ、プロデュースの大切さに気付くことができたんです。活動を再開した今、めちゃくちゃOvallが楽しいんですよ。ソロの活動もプロデュースも楽しい。全部に対して充実感を感じています」

「バンドではみんなでですけど、ソロやプロデュースといったひとりでの活動で物事を進めるのは比較的楽なんです。そのかわりに責任はすべて自分で背負わないといけない苦しさがある。バンドでもソロでも苦楽は絶対にある。バンドを休止してソロをやる。ソロを休止してバンドをする。プロデュースをやめてバンドにソロをやる。昨年リリースした3rdソロ・アルバム『Blurre(ブラード)』をリリースするまでの間にそのことを特に強く感じていましたし、僕はどれを削ってもダメなんだって気付いたんですよね」

「それにOvall休止以前はソロやOvallでリリースした作品を聴き直した時に『もう少しこうしたかった』、『なんであの時に気付かなかったんだ』って。遡って、なおしたい。そういう後悔を感じる時もあったけど、これは作品を作り続けている限りずっと付き合っていかなくてはならないんですよね。だからこそ最近は気にしないようになりました」

「それに、自分自身でいうのは気恥ずかしいですけど、これまでずっと誠意をもって、音楽も人間関係にも向き合ってきたつもりでしたが、これは救いでした。活動を再開するとなった時に再開できる関係性や環境があったからこそ、休止の間にたくさんのことに気付くことができたし、それこそ今の楽しさや喜びがあります。いつでもこの可能性を広げられるように自然に向き合ってきてよかったと感じています」

mabanuaという物語

「これまでの経験、体験から考え方やモノの見え方に変化はあるけど、小さい頃から変わらないのは常に“将来のことを考えてしまう”ということです。幼少期、漠然とした将来への不安から中学受験をしたのと同じで、いつも20年は先のことを考えます。34になった今は50、60才になった時に自分は『何をしたいのか』、『何をできるようになっているのか』って」

「例えば、昨年テレビアニメ『メガロボクス』の劇伴を担当させてもらった時、これまでの音楽活動では得られなかったファン、それと海外の人たちからメッセージやレスポンスがたくさんありました。サウンドトラックの分野はこれまでに考えたことがない場所でしたが、こういった分野でもよりアーティスティックにいけるんじゃないか。そう考えるようになりました。音楽だけじゃなくて劇伴だと“音”として色んな表現ができたことで、もっと色々な場所でもできる、という感触がありました。20年後には、この劇伴で得た感触。“音”での表現を仕事の分野としてやっていきたい。これは音楽で具体的に考えていることのひとつです」

「精神的な部分ではもっと先のこと、死ぬ時のことまで考えています。アルバムをリリースしてツアーを行うことを一定の期間でこなすことは、一般的なサイクルですよね。だけどこの場合向こう2-3年の展望でしかないと思っているんです。例えば、80才になってOvallかmabanuaなのか、10枚目のアルバムを出した数日後に僕が亡くなったとします。その時に『mabanuaは20代にこんな作品を出していたんだ』、『50代ではこんな活動もしていたんだ』。音楽でそういう痕跡や軌跡、それを知ってもらえるようになれたらいい。そういうふうに人生を歩みたいんですよね」

「瞬間風速的に売れて、その風の勢いに任せて、飛ばされて、有名になる。そういう生き方も恰好良いって思うんですけど、僕は元からそういうふうには生きられない人間なんです。音楽を通じて爆発的な有名人になるというより、音楽を通じてどういう人生が送れるのか。どんな作品を生み出せるのか。そういうふうに生きていたい。そのことを常日頃から考え続けていれば『それまでに自分はどうするべきなのか?』って、自ずと突き詰めて行動にも移すと思っています」

音楽をしたい

「動画の再生回数やSNSでのいいね数も指標になるかもしれないですけど、再生回数を増やしたり、ネットの反応にこたえるために作品をつくっていたら、なんのために音楽をつくっているのかがぼやけてしまうんですよね。これまでにリリース、プロデュースをしてきた作品は、それぞれにカラーがあるので『このアルバムは良かった』、『この作品は違ったね』。そういう評価があるのはもちろんで、『次はこういうのを出して欲しい、つくってほしい』こういう言葉があるのも確かです」

「でも、それをしてしまったらアーティストの作品づくりってなんなんだろうって感じてしまうんです。それぞれのカラーも無くなってしまう。僕自身が気にしていた時期もあったし、まわりのみんなも考えたことはあると思うんです。だけど『mabanuaは死ぬまでにこういう作品を作ってきたんだ』って、死ぬまでの軌跡を知ってもらいたいんです」

すべてが繋がっている

「ドラムに座る時も、ギターや鍵盤を持ってフロントに立つ時も、プロデュースの現場でコントロールルームにいても、気持ちが変わることはないです。傍目にはOvall、mabanua、その他のプロジェクトにプロデューサー。それぞれに違いがあると感じられるかもしれないけど、自分の中ではすべて繋がっていて、すべての活動が同じ道の上にあるから『マルチプレイヤーになりたい!』とか『バンドもソロもプロデュースもしたい!』っていうのでもなくて、音楽だけが残ったことと同じで、これも自然な成り行き。運命の延長線上にいるだけなんです」

「成り行きといっても、さまよってここにいるわけではなくて、音楽と自分自身がとことん真剣に向き合って、バンドでもソロでもライブでもプロデュースでも、その時に感じる最大限の想いをもって、ギリギリの局面を切り抜けられるようにならなくてはいけないし、納得できるようにやるためには人一倍努力しなくてはならないことはもちろんです」

「僕はこのような形でないと音楽はできないんです。バンドだけだとソロもプロデュ―スもきっとダメになる。ソロやプロデュースを禁止されたらバンドがダメになってしまう。音楽だけが残ったからこそ無限の色を持ち、音楽で何ができるのか。死ぬまでの物語をつくるように活動を続けていたいですね」

Photo by Mayumi Komoto
Interview by MK
Special Thanks:SYNCHRONICITY'19/LOFT9 Shibuyaduo MUSIC EXCHANGE

PROFILE


日本人ドラマー、プロデューサー、シンガー。
ブラック・ミュージックのフィルターを通しながらもジャンルに捉われないアプローチで全ての楽器を自ら演奏し、国内外のアーティストとコラボして作り上げたアルバムが世界各国で話題に。また、プロデューサーとして100曲以上の楽曲を手がけ、多数のCM楽曲や映画、ドラマ、アニメの劇伴も担当。
またToro y Moi、Chet Faker、Madlib、Thundercatなど海外アーティストとも多数共演。
さらに、Shingo Suzuki、関口シンゴとのバンド "Ovall" としても活動し、大型フェスの常連となる。
また、ビートメイカーBudamunkとのユニット "Green Butter"、タブラ奏者 U-zhaan と共に "U-zhaan × mabanua"、ASIAN KUNG-FU GENERATION 後藤正文のソロプロジェクト "Gotch BAND" のメンバーとしても活動中。

OFFICIAL SITE:https://mabanua.com/

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mabanua selected by BK/BK/CHAR
PAMPA PUDDLE LITE+ WPD
PRICE:¥15,180(tax incl.)

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SYNCHRONICITY2020


『SYNCHRONICITY 2020 – 15th Anniversary!! – 』
DAY:2020.04.04(SAT)/ 05 (SUN)
PLACE:渋谷TSUTAYA O-EASTほか複数会場
OFFICIAL:https://synchronicity.tv/festival